‘保育の神様’堀合文子先生が急逝されて半年余;4月、新学期前日、お電話で「また
お邪魔させて戴くわ」とおっしゃった数日後に倒れてそのまま。気にかけてくださったことども、
話されたことばの数々、少しも気取らず穏やかな話しぶりと共に 今も胸の奥底に
響きます。最後の弟子となった中堅教師は武者修行望みで残念ながら離れますが、蒔かれた
種は いつか・どこかで・必ず 実ることでしょう。
“子どもたちは毎年変わるから、こちらも変わらないといけない”—子どもの育つ力を信じ、
保育者もみずから磨きつづけ、まっすぐ全身全霊“無になって”向かう中で 一人一人の育ちが
実現する:捉え得た断片をことばにすると こうでしょうか。もっとしっかり見ておけば良かった、
もっとちゃんと伺っておけば良かった;悔いは消えませんが、各自なりの懸命の諒解・努力で
進み続けることが供養にも繋がると信じて、これからも参ります。見守っていてください。