「むか~し むかし・・ 」と始まると、胸の奥の深~い処に響いてくる。
闇と炎と風の炉辺が なぜか思い起こされる。いちども そこで語りを聴いた
覚えはないのに、大人たち、からだに受継がれた何かが 蠢きだす・・・。
稚い子は、ことばで表すことは あまりしない 代わりに、応えは全身。
古屋さんの話はどんなふうに届いているのだろう?
前回、七月の時と比べても、子どもの反応は だいぶ違いました。
じっくり聴くより、自分の言いたいことを言いたい、ひとに釣られて同じことを
繰返すなど、かなり強く現れました。もちろんベテラン古屋さん、それらを巧みに
取上げ あるいは縫って盛り上げますが、せっかく たっぷり本物に接する機会、
勿体無いナと思いました。子どもたち、言いたいことを充分聴いてもらっていない
のか、‘そこに自分も参加したい’で すぐそうするのか、たぶん、両方。
子どもの帰った後の茶飲み話。いまの日本、生活の中のゆとり と言うか、
‘人間らしい暮らし’が消えていることが話題にのぼり、しかも、慣れて それが
当りまえ、苦しいと感じない人~子どもが増えていること。哀しく恐ろしい・・
今回、年少さんが最後まで ほぼ全員参加。年中・長の何人かは、周りがガタガタ
しても全く動ぜず、話にしっかり集中してました。一見 聴いていないようで実は
ちゃんと聴いている、のが子ども。種が芽吹いて実を結ぶまで、山野に降った雨が
地表に出るまで、自然は時に膨大な時間をかけますが、そのように、子どもへの刺激
が生きて身になるまで、時は本来かかるもの。目に見える結果をすぐ求めるのではなく、
基本は子どもの可能性を信じつつ、“幼な子には最良のものを!”を貫いてゆきます。
古屋さん、次回は2月。その時の反応~変化が楽しみです。