1月の礼拝予定
2月 7日 大津 健一牧師 『分かち合って生きる』
14日 那須 勝信牧師 『みこころを行う者だけが』
21日 鈴木 真也牧師 『新しい心』
28日 テゼの礼拝
あちらこちらで梅が咲き始め、香りに惹かれてふと足元や崖に水仙を見かけることも。申訳なくも穏やかな 表日本の早春です。
それが 束の間=みせかけの平和 の気もするほど、世界中がきな臭い。地上のさまざまな争いの元は、宗教、土地 、資源、権力、等々、
さらに底は、人口増の圧力か ひとの欲望の果てなさか。 <共に生きる>こと、言うは易く行うに難い。
ヒトは ある文化の中に生まれ・育ち・学習する。身についた理念/行動パタンのまま他文化圏で(重なる鬱屈の発奮も込めて)行動する時、
いま頻発の もめ事~惨事 となる。身に染みついた本人そのものを変えるのは容易ではなく、理解はしても納得~同調できないこともある。
難民流出や世界遺産の破壊を含む大本(おおもと)を止める術は(各国の利害のぶつかりもあって)一向に出されず、難民多数受け入れ国での出来事は
他に二の足を踏ませる。—-身近に他文化国人がいる人の話を聞くと、共に住むだけで難しいと分る。「郷に入っては郷に完全に従え」とまで
言わずとも、基本を侵されたくない心情は誰しもある。それでも、少なくとも相手方を理解だけはしたいし、相手にも理解と歩み寄りを求めたい。
しかし、これも<生きること>の基盤自体が揺らいでいる人に求められることでは無い。 悪循環を断ち切る道はないのか?