11月 7日 薛 恩峰牧師 『人生には 尊い使命と目的がある』
14日 岡田 仁牧師 『最高のわざ』
21日 所ルガール牧師 『あわれみ』
28日 テゼの礼拝
北から紅葉の便りが南下して来ます。桜前線やら紅葉便りやら、自然の移り変わりが当り前の 一(大)関心事として この国では広く報じられますが、南や北のほうの国では あまり無いのかな?と思いますが、いかがなのでしょう?
生活する中で、ある人々にとっての「当り前!」が他の人々には「とんでもないこと!」であり得ますが、これをハラの底から理解しないと、何か(とんでもないこと!)をして当然!が起こり得ます。 —-嘗て「創氏改名」を実行された国の若い人が言った言葉が今も強いショックと共に思い出されます。 <太陽が西から登る程にあり得ないこと>に出会った時の表現に、「そんなことホントにあったら、私、名前変える!」と。
(女子の)名前が変わる=結婚する と目出度いことを意味した国人にとって、<改名>の持つ「とんでもない重さ」は全く理解/共感されず、根本的な不満は不当と見なされたことでしょう。ほんの一例ですが、こうした重さが他にもあり得ることを、為政者には学んで生かして戴けたらと願っています。